【大好評開催中の個展】美術家ミヤケマイ氏に迫るアート対談[パート3]
【ART PROJECT with P.G.C.D.特別企画】
Respect the Artistミヤケマイ×P.G.C.D.代表 野田 泰平[パート3]
アートを通して自分の美的価値観を発見し、新しい自分に出会うP.G.C.D.の新プロジェクト『ART PROJECT with P.G.C.D.』。
現在、美術家のミヤケマイ氏による個展「ハクチョウの唄」が大好評開催中です!
夏の風物詩である風鈴を作成するワークショップや、トークセッションなども行い、多くのお客様にご参加いただきました。
本日は、展覧会に先立ち行われた美術家のミヤケマイ氏とP.G.C.D.代表による対談の最終回となるパート3をお届け。
滋賀県にあるアトリエにて、今までの経歴やアートに対する想いをたっぷりと語っていただきました。
<前回までの対談はこちら▶ パート1 、パート2 >
震災をきっかけに。美術を教える仕事との出会い
野田
Maison de P.G.C.D.の「アート」というテーマで、芸術家のミヤケマイさんにお話を伺っています。
パート2では、パリに留学されていた時のお話しなどをお聞きしてきました。
最後となるパート3では、現在につながるお話を聞いていきたいと思います。
ミヤケさんは今、京都芸術大学で、基礎美術いうコースを椿昇先生と作られて学生さんに教えられていますけれど、なぜ京都芸術大学で基礎美術というものを教えるようになったのかを教えてもらえますか。
ミヤケ
はい。7年前に、現代美術作家の椿昇さんが、海外で展示されることも多く、海外で展示をすると、海外の人は例えばフランス人であればフランスのことは話せるし、ドイツの人はドイツのことを話せる人ばかりで。
色々と日本のこと聞かれて、日本の文化とか、日本の美意識はどうなのかと海外の人達に聞かれ恥ずかしく思ったそうで、これからはやっぱり日本のことがわかって、世界に通用する現代美術作家を育成したいという思いがあったようです。
京都芸術大学は京都の大学で、 京都には日本文化のソフトもハードもいっぱいあり、 それをうちの大学で作りたいという構想があり、現代美術家でそういうことが詳しい人を探していたんですけど、ご本人の周りにそういう方がいなくて、うちの先生たちに誰かいないかと相談したら、異口同音に「椿さん、ミヤケマイ知らないんですか?一人変なのがいます」っていう話で椿さんが会いに来てくださったんです。
野田
それでまで椿さんとは面識がなかったんですか?
ミヤケ
全くなくて。
私も現代美術業界のことはあまり関心がないし、付き合いも狭いので「『飛蝗』の作家さんから連絡いただいた」みたいな感じで。
出会い頭にいきなり「ミヤケさん、何が今最も大切だと思いますか」とか。「日本美術の中核には何があると思いますか」そういう禅問答みたいな口頭試問がありまして。それを多分3〜4時間お話しさせていただき、私はパリのボザールで口頭試問に慣れていてよかったと思いました。
どうにか無事にクリアして、終わった頃には椿さんが「ミヤケさん宜しく」とさわやかに去っていき、先生とプログラム考えてって言われたので「はい、任せてくれるんだったらやります」とおこたえしました。
ただ、実はその前にも美術を教える仕事をいただいたことがあって。
初めて美術を教えたのが慶応義塾大学の美学でした。
そもそも、美術を教えることに興味を持ったのは、福島の震災の時です。
あの時にやっぱりみんな思ったと思うんですけど、「社会の役に立つにはどうしたらいいのか、自分に何ができるかな」と考えました。
あの時に瓦礫の除去とか、色んな人が作品作りに行ったりとかされていたんですけど、私は多分それではないなと思って。
じゃあ何ができるか考えた時に、その当時日本人は情報の処理ができないように感じて。
何が正しくて、何が嘘なのかとか、いろんな情報が錯綜していたし、どうも情報を選んだり、理解する教育があまりなされていないのではということに至りました。
これは怖いなと思い、大人は変化を嫌うので、学生に教えるべきなんじゃないかしらと思いました。
ものの見方とか、考え方とか、どうやって生きていくかとか、そういうことを考えられたらいいなと。私自身がわらしべ長者的な生き方でここまできたので、なんとなく淘汰されないでこれた、ゆるいサバイバルの本能があるタイプなのかもしれないと。
その頃私は、「先生とか子供達に教える仕事だったら受けます」といろんな人に話してました。
そして一番最初に実際にお仕事をいただいたのが慶応義塾大学の美学でした。近藤先生という方がいらっしゃって、素晴らしい方だったんですけど、パリにいた時に貧乏な私にご飯をご馳走してくれたり色々ご縁があって。
戻ってきたときに、私が福島の震災以降、教育に興味を持ちましたという話をしたら「じゃあ慶応で教える?」とお話しいただきました。
なぜか慶應にはご縁があり、慶応のSFC(慶應義塾大学 湘南藤沢キャンパス)と慶應の美学で教えていた時期がありました。
日本人のアイデンティティを。京都芸術大学で教えていること
ミヤケ
ちょうどその頃に、先ほどの椿さんからの話をいただき、私の中でも興味があった時と重なり。右も左もわからない中はじめました。
なんとなくですが、今の現代美術のキュレーターさんや美術家の方は、本当に西洋の技術や美術史にはびっくりするぐらい詳しいのに、日本美術はなんか…。「琳派とかダサいよね」ぐらいの、だいぶ知識に格差がある感じで、これでは私の作品理解されないと思ってすごく不安になっていました。
日本文化の未来と自分の未来が心配なので、後輩のキュレーターとか後輩の学生に教えておかないと、日本美術が理解されなくなったら寂しいっていうのもあり、やってみたいと思ったんですね。そのコースの設立に携わるために大学に行きました。
まず最初に私が椿さんにお願いしたのは、日本美術というのは、日本画を描いたり、陶芸をやったりするだけではなく、その前の本歌というか、その生活の中にある美意識や感じ方を教えていきたいというところでした。
今、日本家屋に住んでいない、祖母が着物で生活していない、出汁を母がとっていない中、いろいろと生活の中で見えてこないものが大多数になってきています。
野田
そうですね。
ミヤケ
実のところ、自分の国の民族衣装を着れないというのは少し悲しいですよね。そういう人が過半数になってきていて…。
野田
過半数どころか、ほとんどですよね。
ミヤケ
じゃあそれを学校で教えた方がいいかなと。
まず私が教えたかったものに、例えば禅とかお能とか立花や漢詩、お茶など、いわゆる昔の日本画の作家や陶芸の作家がみんな教養として持っていたベースを教えていってみたらどうかなと。
椿さんにもそれはいいねと言っていただけたので、私が一番最初に考えたのは、まずお茶は総合芸術なので、お茶にたどり着くまでに、まず襖の開け方とか扇子の使い方とか立ち振る舞いをお能で学び、竹の授業で茶杓を削り…。
そもそも茶杓の拝見(お茶会で亭主のしつらえた道具を鑑賞すること)は、あんな棒きれ作ってみたことのない人には、どこが見どころなのか、何がいいのか絶対わかんないはずです。なので作ったらみえてくるものがあるのではと思って。
茶杓をまず作らせて、筒を作って名前を付けて、次は陶芸で山から土を採ってきて、粘土を作って窯も自分たちで作って、楽焼で楽茶碗を作って。
それで初めてお茶の授業に自分のマイ茶碗と茶杓を持って、お茶の稽古に、それから床の間のお花も飾り、っていう形で入るようにしたいっていう。
そうじゃないと結局、茶碗作っても、何のために茶溜まりとか必要なの?とか、重さはどうしたらいいのかとか、それも使ってみないと分からないことなので、お互いに作ったものを使って経験してもらうのが良いかなと。
あともう一つ私が心配していたのが、日本の伝統文化が下から崩れていくということ。
要は筆を作る人や紙を作る人 、土や粘土を作る人達が賃金が安くて大変なので、ここがなくなっていくのを自分が工芸まわりにいて間近に見てきているので。
将来あなたたちが制作する頃には、そういう人達がもういないかもしれないから、自分で山に行って採って作れたり、窯も電子レンジみたいなボタンを押してぽんと焼けるるのに慣れてしまわないで、ちゃんと窯を自分で作ってどういうシステムになっているのか理論がわからないと、この先大変だろうなと思って。
それと、作家はお金に困ることが多いので、お金がなかったら作れないのでは、アートってお金持ちの遊びなの?っていう話になってしまうので、誰でも作れるってことも大切にしました。
授業で筆を作る授業をやったり、陶芸も粘土から先生に作っていただいたり、そういうことができる先生達だけを最初椿と2人で選んでいきました。
野田
未来の子供たちとか、その次の世代の人たちもそうですけど、これだけグローバルで世界に出ようよという時に、そのアイデンティティがないと基本的に、結局日本人っていうけど、どこが日本人なの?となるかもしれませんよね。
英語が喋れる、日本語が喋れるじゃなくて、自分に何が流れてる?何が美しいって感じるんだっけ?みたいなのはすごく大切ですよね。
日本には茶道や華道などの「道」がつくものも含めて、色んな文化があるので。 基礎美術の授業があると伺ったときに、素晴らしいなと思っていました。
正直言うと、アーティスト、芸術家を目指す人だけが必要なわけじゃないですよね。もう全員が必要ですよね。
ミヤケ
そうです。もう全員に学んでほしいです。
自分のアイデンティティがゆらぎ、現代日本では西洋的な自己啓発みたいなのがいっぱい入ってきて、皆さんそれにお金を使ってますけど、しないよりはきっといいのだと思いますが、どこか日本人には微妙に合わない感じがします。
みんなの前で自分の悩みとか喋らせられたりとか嫌ですし、知らない人とグループハグとか本当に無理な気が私はします。
国のコミュニケーションも土壌に合ったものがあるような気がします。それを茶道とか華道とか「道」がつくものの中で、私たち日本人はずっとやってきたのが、生活が変わったことで、戦争に負けたとか、色々あるんですけど、日本人の自信が揺らいだり、何が自分がやりたいのかもわからなくなっている、今の現状を見るにつけ、私はそういう悩みがなかったのは、子供の頃から老人やそういう先生たちから学んできているというのもあるのかな? と思って。やったら楽しいし面白いので、どうかなと…。
私自身があまり海外に憧れないっていうのもひとつあると思います。たとえリヒターが好きでリヒターっぽい作品を作っても、たぶん私の作品に付く形容詞って「みりん風味」みたいな「リヒター風味」の気がして自信が持てない気がしていたからです。
結局自分はリヒターにはなれない。私はなんか「みりん風味」の調味料じゃなくて「みりん」になりたいなってちょっと思ったんですよね。
野田
例えにみりんを選んだのも面白いですけど、でもわかります。
アイデンティティもそうですけど、自分らしさもそうですし、もっと言うと、美しさみたいなテーマを、考えないと言うか。
「何が美しいのか教えてください」みたいなことじゃなくて、「何を美しいと感じるんだろう自分は?」とか、本当は能動的に自分が探していけばいいと思いますし、もっと言うと、「自分はこの美しさが好きなのよ。」でいいはずなのに、それが大多数なのか、この人が良いって言っているのかになってしまっている。
そうではなく、まず自分を知るっていうのが、本来は美の道の一本目なのかなと思っていました。
ミヤケ
まさしく、美の仕事をされているだけあって、さすがです。
本当に私が言いたいことはそれなんですよ。
他人が何と言おうと、自分が「なんか好きだな」とか「気持ち良いな」とか「いいな」って思うものを突き詰めていってほしいし、それを周りの人が「この作家はなんか将来高くなる」とか「美術文脈に乗ってる」とか、「誰々さんが買った」とか、そういうのに踊らされていると一時は良くても辛くなるし、暴落した時に面白くない気持ちでいっぱいになると思います。
自分が好きなら別に上がろうと下がろうと、自分が毎日眺めてたら嬉しい気持ちになれるんだからこんな良いことなのではないかと。なんでもかんでもお金に換算するのは戦後の日本の功罪ですね。
それは、それぞれの人にそれぞれの形があるように、それぞれの美意識も絶対違うんですね。だから私も別に東洋的な美が全てというわけではないですが。
世の中や自分の中で言語化されてこなかったものや、なんとなく今の世の中に居場所や手応えを感じていない、しっくり来ていない人は、もしかしたら、ただ単に普通の日本人で、日本という文脈の中に戻してあげたら、何か自分が見つかるんじゃないかって思うことがあります。
そういうお手伝いができたらいいなと思っていて、そういう自分で選ぶ、自分でいらないものはいらないで、いるものは大切に育てていくっていう、ちょっと石鹸と似てるかもしれないんですけれども、なんかそういうことをやるのがいいなあと思っていて。
残念ながら、その基礎美術のコースがなくなって統合されてしまうので、ちょっと来年の今頃から、大人の寺子屋で基礎美の大人版をやって欲しいという要望も多くあるのでやってみようかと思っています。
野田
この滋賀のところで、今計画中というのはさっき伺いまして。
本当にスタートが楽しみですね。
ちなみに滋賀に来られたのはその京都芸術大学がきっかけですよね?
ミヤケ
そうです。京都に7年住んでいて、京都の物件って本当にアトリエに向かないんですよね。
間口が狭く、天井が低くて、道が2t車が通れないところ入って行くみたいな。
京都の友達は街なかの友達が多いんですけど、みんなが「滋賀の大津にしたらいいよ」って言うから、「そうなの?」って行ってみたら琵琶湖を見て「わぁ」って。私はずっと海が見える家で育っているので、京都にはなんの不満もなかったんですけど、「そうだ。私には海が足りてない」と思って。琵琶湖は海。なんだか安心しました。
それで琵琶湖のほとりに住みたいって探しましたが、ほとりはなかなかなくて、たまたまここを歩いてたら、募集中の張り紙があって。
野田
で、ここでやろうと今されてるんですよね。
決定したらぜひ僕も参加させて頂けたらなと思います。
最後に。ミヤケマイ氏にとってのアートとは?
野田
最後に、少し美のお話を伺って終了したいと思います。
家にアートがあったりとか、自分が好きなものを見て「私はこっちなんだよ、やっぱり」と改めてこう自己認識できるのがアートなのかなって個人的には思っていまして。
ミヤケさんのアトリエにも、いろんなアートが飾られているじゃないですか。アートのある生活、アートを家に置く価値について、最後に少しうかがって終えられたらなと思います。
ミヤケ
私は美術っていうのは、『どこでもドア』だと思っています。
それを見ると今、ここに居る自分とは違うところに連れていってくれるものだと思います。窓がなくて景色がないお家は、やっぱり居辛いじゃないですか。家は家で好きなんだけど、やっぱり景色があるとほっとする。
どっか違うところに人間は気持ちうつしたい生き物なのではと思います。
アートもそうだと思います。作家という人の目を通した景色なので、窓の代わりというか、それも他人の家の窓なんですよ。それを見ることで、結局自分以外の価値観や、自分では見えない世界が、その窓を通して見れますし、そこを旅することができる。たまに自分と似た窓にも出会う。
だから、私にとっては、アートがない部屋は、窓のない部屋ぐらいに息苦しい。自分だけで自家中毒を起こしてしまいそうな出口がない感じがするので、すごくあると楽になるし孤独を感じなくなるものだと思うんです。
野田
いいですね、素敵ですね。
P.G.C.D.ギャラリーでも、7月から9月30日までミヤケさんの個展を開催していますので、ぜひそのアートの窓、美術の窓、そのアーティストさんから見た世界を見ながら、皆さんの何か心の琴線に触れるものを見つけてもらえたらなと言うふうに思っています。
ミヤケさん、今日はありがとうございました。
ミヤケ
ありがとうございました。
▼個展のご案内
ART PROJECT with P.G.C.D.
Respect the Artist
ミヤケマイ
「ハクチョウの唄」
期間:2023年7月1日(土)〜9月30日(土)まで
場所:JBIG meets Art gallery
〒107-0062 東京都港区南青山 7-4-2 アトリウム青山
※完全予約制・入場無料
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