Keep pursuing about“different.”
お互いを「サディ」「ノディ」とニックネームで呼び合うほど深い親交がある株式会社コルク代表取締役会長兼社長を務める佐渡島庸平氏と、JBIGの野田泰平。そんな2人だが、お互いの事業のきっかけや根幹の部分までは意外と語り合ったことが少ないという。
今回は、そもそもなぜ石鹸だったのか、P.G.C.D. JAPANの始まりに編集者でもある佐渡島氏が迫るー。
企業も作家も大切にしている「磨く」とは?
肌が「美味しい」と言う石鹸づくりを目指して
野田泰平(以下、野田) 佐渡島さんとは、経営者としても友人としても、長くお付き合いさせてもらっています。今日はいつものように、ニックネームの「サディ」と呼んでいいよね?
佐渡島庸平(以下、佐渡島) じゃあ、僕もいつも通り「ノディ」でいこう。
佐渡島 どんな感じの話をします?
野田 今日、サディが言ったから石鹸の話をしようと思います。
佐渡島 僕がノディに質問して聞き出す感じでいきたいな。そういうので大丈夫ですか?
野田 大丈夫。あと、サディの考えとかも話してもらえればって思ってます。
佐渡島 じゃあ、「こだわる」というか「磨く」ってテーマでやっていきましょう。結局企業が商品を磨いていくのも、作家が作品を磨いていくのと一緒だよねっていうので。結局ノディのそういう態度が作家のそういう態度と一緒だねっていう感じに進めていきたいかな。
佐渡島 ずっと聞きたかったんだけど、なんでノディは石鹸、化粧品をつくろうと思ったの
野田 今回改めてサディと対談すると決まって、「なんで石鹸なの?」って聞かれるだろうから、もう一度深く考えようと思ったんだよね。取り掛かりのベースとしては化粧品がいらなくなる方法ってどんなことがあるんだろうなっていうところだった。ただ石鹸っていうプロダクトに行き着いた明確な答えがパッと出てこなかった。でも、僕の石鹸づくりの最初の記憶は、小学校の時に石鹸を作ろうっていうクラスで作って大失敗したこと。クラス中腐った食べ物みたいな匂いで蔓延しちゃって、石鹸って大変なんだってその時思ったのをすごく覚えてる。今日、石鹸の話をするってことで、事前に書き始めた時に思い立ったのがそれだったんだよね(笑)サディは学校で作ったことない?
佐渡島 学校ではなかったなぁ。でも、この前コルクラボの合宿で石鹸づくりをやったよ。そもそも1番初めに起業した時から石鹸なの?
野田 石鹸だね。
佐渡島 なんでまず化粧品にしようと思ったの?
野田 僕は、元々建築ビジネスをやりたくて建築デザインを学んでたの。その時にすごく好きで勉強したのが、世界三代建築家※1と言われているミースの『ファンズワース邸』や安藤忠雄の『住吉の長屋』。すごくシンプルなデザイン。「こんな家住めないよ!」と言いたくなるくらい。『住吉の長屋』は、雨の日に傘をささないと部屋の行き来ができないデザインをしているしね。でも、シンプルって、言い換えれば人の暮らし方や生き方をデザインできるということ。暮らし方を制約しているかもしれないけれど、一方で人の生き方をデザインしていて素敵だと思っている部分があるんだよね。だから、人の習慣や人の行動、行為に対して、人が参加できるようなデザインやビジネスを仕事にできたらいいなっていう風に思った。
佐渡島 「人の未来をつくりたい、そのためのデザインをしたい」と思っていたんだ。
野田 そう。でも、建築の勉強をしていくにつれ、どんなに素晴らしくても、デザインは常に値切りの対象とされる現実を知った。そんな中でデザインをやっていくのは相当難しいと感じたし、デザインが価値として認められないことが疑問だったんだよね。そこから「プロダクトを通じて人の人生、未来をデザインしたい」という想いが湧きあがってきて、自分で事業を始めることにしたの。
佐渡島 そこで石鹸を選んだのはなぜ?
野田 化粧品がいらなくなる世の中だったらいいなって。進学のために初めて上京したとき、電車の中で座りながら化粧をする人たちを見かけて、すごく嫌悪感を覚えた。「美しくない」って。人を美しくする行為が美しくないってどういうことなんだろう。このときの想いがずっと心にあって、そこから、化粧品がいらなくなるようなビジネスをつくりたいと考えるようになった。それが石鹸にたどり着いた原点の一つではあるね。
化粧品って第二次世界大戦で荒廃した日本において、女性たちが少しでも幸せになれるように、笑顔になれるようにとつくられた歴史を持ってたりする。でも、今となっては逆に化粧品が環境汚染の一因になってしまっている。さらに、電車の中でメイクをするような美しくない行為を招いているくらいなら、化粧なんていらなくなる方がいいじゃないか。そもそも素肌がきれいであればファンデーションもいらなくなる。素肌が美しくなるスキンケアを開発して、化粧品がいらなくなる世界を目指そうって。そこで、使ったらなくなる、ゼロになる石鹸に憧れるようになった。
佐渡島 P.G.C.D. JAPANの石鹸は一般的なものより高価だよね。起業したとき「石鹸でこの価格は市場で受け入れられるだろうか」と思わなかった?どこまでこだわったらOKだと考えていた?
野田 雑誌とかWebサイトとかの物の基準も含めて、僕のクリエイティブの全てにボーダーラインがあって、そこを越えたらOK。ボーダーラインは多分最初からあって、石鹸で言うと自分の肌が「美味しい!」って言えるレベル。でも、それを表現するのが難しくて、なかなか伝えるのに苦戦してるけど。でも、見えないボーダーラインはある。そこを越えるか越えないか。
佐渡島 そのボーダーラインはなんで若い時からあったんだろう。
野田 僕は福岡出身で農業が盛んな地域で育ったから、子どもの頃から口にするものは、ほとんど親族が自分の畑でつくったものだったんだよね。自然も周りに多いから、四季によって「緑」も全く違う「緑」の姿をしてるし、「川」もただの川のイメージじゃなくて、音やシーン、温度とかの全てが僕の言葉の中に溢れてて…。四季折々の自然を五感で感じられる生活をしてきたので、素材の良さや本物であることは譲れないし、感覚として身に染みているんだと思う。それがいいか悪いかは置いておいて、自分の「こだわり」とか、「美味しい」とかの感じるレベルはしっかり持ってるかな。
「more better」ではなく「different」をつくる
佐渡島 石鹸を続けて何年経ったの?
野田 足掛けでもう20年。つくり始めてみてから20年かな。
佐渡島 20年で石鹸に対する見方は変わったり、ハードルは上がったりしたの?
野田 変わってるし、上がってるね。
佐渡島 どう変わったの?
野田 化粧品業界自体、元々難しいと思ってた。建築の勉強をしていたときに思っていたのは、「more better」ではなくて「different」じゃなきゃいけない。どんどん「more better」のデザインにしていくと、人間の感覚では判断がつかない違いになっていくから、結局は価格競争になってより安くなるんだってことを教わった。だから、僕からすると「more better」で戦うんじゃなくて、「different」に進まなきゃいけない。
そこで、全く違うものをデザインしようって考えたときに、石鹸の「ゼロ」になるっていうところが素晴らしいと思った。だって、物として使い終わると確実にゼロになるんだけど、そこまでのプロセスはお客様によって使い方が違う。例えば、10人集めて1ヶ月後にこの石鹸を使ったものを持ってきてくださいって言って、1ヶ月後持ってきてもらうとみんな形が違うんです。それは泡だて方だったり、手の大きさの違いだったりするんだけど…。ボトル式のものでワンプッシュ出してと記載があったらワンプッシュ分使用するし、薬で3錠飲んでと記載があったら3錠守って飲むでしょ?でも、石鹸って人の行為を規制しないデザインになっていて、その商品をお客様の生活の中できちんと丁寧に使い続けてもらうっていうビジネスをしているので、継続していただくことは相当難しいと思う。あと、簡単で便利なものをいいと思う世の中になってきていて、手間暇をかけるプロダクトに対しての理解が薄くなってきている世の中で、このビジネスの価値観を伝えることが難しいなって思ってます。ある種、「面倒だ」と思われる部分があるけれど、面倒ではなく自分の生活を良くするひと手間にしていただくためにどう発信していくかというところに苦労してるかな。
佐渡島 確かに難しいね。普段500円で売っているものを9,000円で売っているもんね。価格の部分で言うと、事業を開始した当初、なぜ「この価格で売れる」と思った?難しくない?
野田 やっぱり、石鹸を売るのは難しいよ。でも、僕は難しいっていいことだと思ってる。P.G.C.D. JAPANの石鹸は「安い」ではなくて、「本当の価値」で売ることがすごく大事だと思っているから。学生時代に建築家の先生たちがデザインを値引きされてしまったせいで、日本の建築業界がボロボロになり、デザインが正しく評価されない世の中になってしまったことを嘆いていた。その姿を見て、価値を下げるって何のためにもならないだなって強く思ったんだよね。だから、僕たちに限って言えば、価値を上げるための努力はするけど、価格を下げるための努力はいらないんじゃないかなと思っている。創業以来、価格は上がっているけど、1度も値下げはしていないんです。プロダクトの価値が上がっているのに、値下げするのはなぜなんだろう、と考えているから。2004年頃、他社が手軽なオイルクレンジング商品を販売開始したこともあって、「マーケティング的にはどうなの?」と言われたこともあったよ。でも、僕はそこに迎合しようと思わなかった。P.G.C.D. JAPANは「More better」じゃなくて「Different」でいくべきだ、と。逃げちゃダメだみたいなことはすごく思ってた。
佐渡島 うーん、ノディのその価値観はどこまで大きくなるんだろうね。
野田 そう。だから、モノを売るのではなくて、P.G.C.D. JAPANのプロダクトが美しくなるための習慣、お客様がなりたい自分になるためのプロセスの一部になりきれたら、もっとパワーアップしていくと思う。
僕は、プロダクトを通じて生まれたお客様と僕たちの関係性が大好きで。創業当時から、お客様を会社にお招きして、月に数回お話する機会を設けているんだけど、その度に「お客様を裏切ってはいけないな」と思う。P.G.C.D. JAPANを愛してくれるお客様を増やしたいという想いが事業を続ける原動力になっているんだよね。
プロダクト開発のキーワードは「耐久性」
「オリンピック企業」としてあり続ける
佐渡島 ノディのその価値観を他のプロダクトまで広げていこうとは思わないの?「丁寧な生き方」のところで、化粧品以外にも横展開していけそうだけど。
野田 スカルプケアはリリースしたし、次はデンタルペーストを考えてる。歯磨きなんかは横に繋がっているし、シャンプーの方に移ったのも顔洗う人は頭も洗うよねって、横に繋がっていったから。石鹸1個作るのに4年ちょっとかかったけど(笑)
佐渡島 やっぱり洗面所の中で「丁寧な生き方」に関わるものなんだ。そこでドライヤーや鍋とかをつくろうとは思わないんだね。じゃあ、香水はあり?
野田 ドライヤー、鍋はないなぁ。商品に温かみを感じられないから。でも香水はあり得る(笑)。
佐渡島 ノディのこだわりが、どういうポイントなのかまったく分からないのが面白い。漫画でいうと、いきなりファンタジーの漫画を描いてきて、「これは丁寧な生活と結びついてるんです」って言ってくる漫画家と同じ感じ(笑)
野田 銀河鉄道999を描いてきて、みたいな(笑)
佐渡島 そうそう。「これ家の上空の夜の星空を走りそうなんですよ、電車が」とか言って(笑)「そうなるとこれもあり?」って聞くと、「それはない」って言う感じで。ノディの話の所々に生活とつながっているってあるから、男性用の洗顔用石鹸とか男性も将来石鹸を使って丁寧に生きるからっていうのだったら、僕も納得できるんだけど…。
野田 鍋を作るのはないと思っているけど、例えば鰹節だったらありだと思ってるんだよね。
佐渡島 そうなんだ。
野田 以前「石鹸と鰹節」っていうコピーで、石鹸の隣に鰹節並べているだけの広告を作ったこともある。石鹸と鰹節は似てるっていう、僕のポエムみたいなものをそのままコピーにしちゃったの。今でも時々、広告のメインコピーを僕が書いてるしね。
佐渡島 なるほどね。P.G.C.D. JAPANが、ノディのポエマーを具現化しているポエム企業なのね(笑)
野田 そうだね。だから、鍋をつくるくらいなら、根本の火から何かつくっていこうよって思うかな。火を起こす習慣みたいなことを売るのかもしれないね。
佐渡島 ものや行動の根っこが好きなんだね。何がありえるんだろうか。例えばノートを売るのはあり?
野田 ノートって毎日つける習慣をつくってるからすごいなと思う。10年後の自分になるためのドリーム手帳とか、夢日記みたいな感じのものとかいいね。
佐渡島 ノートも使い方が定義されてるものがいいんだね。10年間、ほぼ毎日やってる10年分が自然と振り返れるみたいな感じ?
野田 そういうのはありだね。結局なりたいものになっていくプロセスってすごく素敵だと思う。
佐渡島 鰹節も習慣だもんね。鍋は使う日も使わない日もあるし、日本料理だと鰹節を毎日使用するもんね。毎日っていうところが重要なんだ。
野田 鰹節もまだ剃ってない鰹節がいいと思ってる。
そう考えると、石鹸の良さってね、使う人が「Participate(参加)」できることにあると思う。お客様が動く、行動するデザインだから、すごく好きで…。石鹸には、積極的に手を動かして泡立てる行為が必要でしょう。昨年、僕は東大の先端研に行って、1年間『凹デザイン』っていうのを勉強してきて、そこで「完璧なデザインは人を退化させる。すべてデザインがやってくれるから」と学んだ。凹があるからこそ、人のイマジネーションが広がり、創意工夫とか、アイデアとかイノベーションが生まれる。すごくP.G.C.D. JAPANの石鹸ぽいなって思ったし、これからはそれをやっていく世の中じゃないといけないなと思った。
佐渡島 つまり、参加型のプロダクトということか。ドライヤーとか鍋とか、ただ受容するだけのものではなく。ノディのそうした考え方は僕の仕事にも近いところがあるよね。新人作家を世に出すとき、同じようなことを考えている。
野田 そう、作品づくりに参加していることになるよね。新人の作家さんを発掘するときに、サディが基準にしていることはある?
佐渡島 ノディのボーダーラインの話は面白いなと思って、僕も新人作家を見つける時や、小説を読んでる時に、「耐久性」の高い言葉を使っている人はOK、「耐久性」の低い言葉を使っている人はダメ、という言い方を僕はしている。
読んでいて、これは10年後にはなくなっている言葉、これは50年後も使われている言葉だな、とか。何を持って「耐久性のある言葉」とするかというのは、美意識に寄り過ぎていて、一般の方には分かりにくいと思う。それは「凝縮性」の考え方だけどね。
野田 本物の定義って、そういうものだよね。僕も耐久性のないプロダクトはやるつもりがない。石鹸は8世紀からヨーロッパで製造され、売られているからね。日本はまだ平安時代だった頃だよ。
佐渡島 少なくともノディの会社は1000年以上続いてる物だったら商品化ありってことだ(笑)
野田 ありだね(笑)鰹節もそうだし、日本酒とかも興味がある。
佐渡島 ノディの対談も1000年以上続いているものの専門家に話を聞きにいくとかどう?「100年続くものじゃないとダメだ、1000年続くものじゃないとダメだ」ってこだわっているから。例えば、徒然草の専門家に徒然草の魅力とは?って聞くとか、建物だと法隆寺はなぜこれだけもっているのか?とか。
野田 1000年続いてるから(笑)いいね、日本にはいっぱいあるね。
佐渡島 そういうことをやっていくとブランディングになるから、ただ社長をみてくださいってだけじゃなくて、1000年以上続いている人たちに秘訣を聞いて、これから先のノディの発想がどうなるんだろうっていうのを読者も楽しめるんじゃないかなと思うんだよね。
野田 新商品や新しいプロダクトの発想とかね。
佐渡島 そう。ノディが1000年以上続いているところだけに取材をしに行って、「なるほど、そういう風に残ってるんだ」って知って、「石鹸だったらどうなんだろう、新商品だったらどうなんだろう」って発信するの。その上で、毎回「また4年考えます」みたいな(笑)全部持ち帰って、4年後の楽しみをみんなと共有する対談の企画とか面白いかもしれない。それくらい自分が何について発信しているのかが明確だとファンとかも増えていくと思う。
野田 それ本当に面白い。でも、それって明確なの?1000年以上続いているものに対する興味って。
佐渡島 もう少し世間が興味持つようなものにしたいんだけど…。意味がわからない感じは面白いよ。
野田 サディが好きな漫画も売れないんだっけ?
佐渡島 僕の好きな本は3000部くらいしか売れない(笑)
野田 だから、人が面白いと思うものをどう面白いと思うかを解剖するってことでしょ?僕の石鹸のビジネスも1%戦略って言ってる。世界中で1%の人でいいよって。そのファンを作れるように頑張ろうねって。
佐渡島 いいじゃん。これこそ凝縮性の考えだね。
野田 最後にP.G.C.D. JAPANへの期待の言葉とかありますか?
佐渡島 だから、「4年後待ってます」(笑)
野田 4年後待ってます(笑)
佐渡島 4年後何をやっているか待ってますから。まさにオリンピック企業(笑)
野田 オリンピック企業か。4年はある意味長いよね。基本、最初は「できません」から始まるからね。石鹸にこんな成分たくさん入らないんですって。最初できませんって言われると、「できない=他にないんだ」って思って、そういうところからワクワクし初めて、じゃあどうやったらできます?ってなるんだよね。
佐渡島 「できませんから始まる」とかコピーになるじゃん。「オリンピック企業」とかさ。会社がやっていることを覚えてもらうために、そういう風なコピーをうまくいろんなエッセイにつけていくといいと思うな。
野田 今日、サディの話を聞いて、自分はこれまで「耐久性」という言葉はずっと使ってなかったけど、考えにはずっとあったんだな、と思った。確かに僕は耐久性のあるものにすごく惹かれる。これからのプロダクト開発の指針になりそう。今日は大きな気付きをありがとう!
※1【世界三大建築家】
フランク・ロイド・ライト(米)、ミース・ファン・デル・ローエ(独)、ル・コルビュジエ(スイス)のこと。フランクロイドは帝国ホテルライト館、ミースはファンズワンス邸、コルビュジエはサヴォア邸に代表される。
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